I believe 5
アスランと、一緒に暮らすということ。
シンとアスランと、二人で、暮らすということ。
毎日学校に行って。帰りの遅いアスランのために、多少なりとも家事を覚えてみたりして。
なのに、やったらやったであれこれうるさく注意されて、じゃああんたがやってみろとかキレてみせたら、確かにアスランの方が上手くて今度は拗ねて。
教えてやると言われても、教える方も下手だし、教わる方も下手だしで言い合いになって。
それでも、今はお互い、酷く甘え合っているから、前のような本気の喧嘩にはならない。
時々キラって奴が来て、そのたびに威嚇するシンを、アスランは呆れたようにたしなめて。
・・・そう、怒りもしないでたしなめて、そうして時々、アスランは帰って来ない。
聞けば、さらりと「キラのところへ行っていた」と答えられて、やっぱりシンはキレて、それでもやっぱり殴りあうほどにはならなくて。
アスランに依存している自分を、シンは酷く歯痒く思った。
本当は、早く自分の足で立って、俺が、この人を幸せにしてあげたいのに。
この人の空っぽの手を、何か、いい物でいっぱいにしてあげたいのに。
シンは、この人からもらうばかりで。
今日も、衝動のままに抱きしめて。抱きしめて、もらって。
散々あたたかな肌に甘えて、つかの間の幸せで、満たしてもらって。
シンは、疲れて眠る人の頬に唇を落とす。
何度も泣かせてしまったその人は、しかし滅多に見られないほどの幸福そうな顔をしていて、ほっとした。
しかし。
「き・・・ら」
ふんわりと、優しい形を作った唇から洩れたのは、そんな言葉で。
いっそう深くなったように見える笑みに、シンは拳を握り締めた。
アスランの指が、ひくんと動いて。
何かを探すようにするそれを、握り締め過ぎて、少し冷たくなってしまった手で、シンは取る。
眠る人間特有のあたたかな手で、それを軽く握り返したアスランは、そのまま、幸福そうに深く眠り込んで。
シンは、声を殺して、泣いた。
アスランの休日を狙って遊びに来たはずなのに、ラボから呼び出しを食らったというアスランは不在で、キラは不機嫌そうな少年に出迎えられた。
帰ろうかな、とちょっと思ったけれど、それでもこの子と一度話をしたいと思っていたので、雄弁に『帰れ』と言っている視線もものともせずに、居座ることに、決めた。
「帰れよ」
「・・・素直だね、君」
まさか口に出して言われるとは思わなかったので、キラの口調は、むしろ感心したようになる。
素直で、可愛い。これでは、アスランも可愛がるだろう。
「でもそんなに長くかからないんでしょ？待ってるよ」
「待つなよ・・・勝手に座んな！」
口だけで、手が出て来ないのはアスランの躾の賜物だろうか。
リビングに座り込んだキラは、立ったまま威嚇するシンを見上げて、人好きのする笑顔で手招きをする。
「入れてくれたのは君だよ。丁度良いから、アスランの話でもしようか」
「あ・・・んたって人は・・・・・」
酷く憤ったように呟いたシンは、それでもどすんと座り込み、側のローテーブルを、壊れそうな勢いで殴りつけた。
「物に当たったらダメだよ」
「うるさい！」
一言、吠えて。
「アスラン言ってた。あんたは、もうアスランが要らないんだって。あんた、いっぱい持ちすぎてるから、もう、アスランの分がないんだって」
そう畳み掛けた少年の言葉に、ほんの一瞬、あっけに取られて。
それから、キラは、それを悟られないように、曖昧な笑みを作った。
「ええと、すごくアスランらしい、わけわかんない話だね」
「だから！」
「ああごめん。わかるよ、付き合い長いし。アスランがわけわかんないのは、いつものことだし」
アスランは、もともとキラとまったく違う理屈で生きる、まったく違う生き物で。
それが、あの戦争でもっと酷くなった。
「要らないって話はしたけど。そっか。アスランの分がない、か。考えたことなかったな・・・」
アスランと戦っていた頃のこと、その時死んだ友達のこと、自分の生まれのこと。すべて、アスランには話してある。
たくさんのものを、抱え込みすぎて泣いていたキラを慰めてくれたのは、他の誰でもないアスランなのだ。
そのくらい、思い至って・・・
おくのは無理。
絶対無理。
だって、僕だっていっぱいいっぱいだったんだから。
そう思って、キラは、深くため息をついた。
「ないのかよ。ほんとに」
「・・・なかったんだろうね。少なくとも、アスランから見たら」
「それってないのと一緒じゃん」
「そうだね・・・ああもうほんとに、アスランて、なんでちゃんと言わないかな」
尖った少年の声に答えて、キラはテーブルに肘を付いて、頭を抱えた。
「アスランの分なんて、すぐに作るのに」
君のためだったら、何を捨てたっていいのに。
「それ、アスランに言ったのかよ」
とたん、そのテーブルを叩かれて、衝撃に、仕方なしに顔を上げて。
「あいしてるっていうのは言ったよ。でも言ってわかると思う？アスランだよ？」
キラを睨み据える、赤い瞳。
そう、アスランに比べたら、この子はなんてわかり易い。
彼は、その強い瞳の端に、涙さえ浮かべて低く唸る。
「俺の手は、もう、全部アスランの分だ」
アスランが、それを信じてくれなくても。
そう言外に言い置いて、シンはキラに詰め寄った。
「あんたは？」
「全部は、無理かな」
「なんで！」
シンにとって、アスランは理解し難い人間だった。
しかし、それは、このキラという人間も同じ。
理解できない。
シンが当然と思う理屈が、通らない。
あいしてるって言うんなら、なんで。
「アスランの言うとおりだよ。僕はもう、たくさんのものを背負ってしまっている。・・・・まあ僕としてはね、アスランのためだったら、みんな放り出したっていいんだけど」
世界の行く末なんか知らない。何のために作られたかなんて、関係ない。戦闘さえ終結すれば、カガリだってラクスだって、キラがいなくてもなんとかなってしまうのだ。
人殺しの罪は消えないけれど、それはむしろ、アスランと共に負いたいと、思う。
でも。
「でも、それをやったら、アスランが怒るから。きっと、凄く悲しむから・・・だから、そんなことできないよ」
あのクソ真面目なアスランが、それを許すとは思えないから。
「だって、アスランが好きなのは、あんたなのに」
シンは、大好きなアスランが、シンでいっぱいになってくれたらいいと思う。
大好きなアスランで、いっぱいになりたいと、思う。
だから、悔しいけれど。
もの凄く悔しいけれど。
アスランが、好きな人でいっぱいになればいいと思ったのに。
アスランの好きな人が、アスランでいっぱいになればいいと、思ったのに。
なのに。
なんで。
憤るシンの言葉に、キラは努めて、軽く頷いた。
「・・・うん。どうやらそうみたいだね」
そう、信じていいのだと。
思うようになったのは、ごくごく最近なのだけれど。そんなことはおくびにも出さない。
シンを得て安定したアスランが、時々見せる、仕草や表情、何気なさを装った言葉。そんなものを、見逃してしまったのは、自分なのだから。
『キラは、どうする？』
おずおずと差し出された手を、また、知らぬ間に払ってしまったのは自分なのだから。
キラの「あいしてる」を、信じられなかったアスラン。
アスランの「俺もだよ」を、信じられなかったキラ。
その罪は、双方にある。
双方で、相殺。
でも、それにこの子は関係ない。
それに。
「でもね、アスランは守るべきものがないと、安定しない。必要としてくれる人がいないと、生きていけないんだ。どうしてもね、「弟」が必要なんだよ」
キラはもう、アスランの弟にはなり得ない。
だから。
「アスランに必要なのは、君なんだ」
「あんたって人は！」
そう叫ぶシンの憤りを、キラもわからないわけではない。
むしろ、そんなことで憤れる彼を、羨ましいと思う。
「君は、アスランに助けてもらったね。なら、君にはアスランを助ける・・・資格が、ある」
「あんたはどうなんだよ」
「僕はもう失敗したんだ。僕じゃ、駄目だったんだよ」
アスランを信じられなかったキラは、その資格を失った。
僕は、アスランを縛ることはできても。
助けてあげることはできないんだよ。
縛られることを、必要とされていることと勘違いしていたアスランも、とうとう騙されていたことに気がついたみたいだし。
「でもっ！」
泣きそうな、少年の声。
あのね・・・泣きたいのは、僕の方なんだよ？
「僕が好き好んで、君にこんなこと言ってると思ってるの？」
その声の冷たさに。
シンは、一瞬凍りついた。
「僕だって、僕自身の手で、アスランを幸せにしてあげたい。でも、僕はもう失敗しちゃったんだ。僕じゃ、駄目だったんだよ」
「でもあの人は、あんたじゃなきゃ駄目なんだ！」
「じゃあ、いいの？僕がアスランを持って行っても。僕はアスランみたいに優しくないよ？一度手に入れたら、閉じ込めて、縛り付けて。もう２度と、他の誰も見られないようにしちゃうよ？」
そう、それがキラの望み。
アスランのように、救えたからといって放してやるようなことなんか、できない。
「それであの人が幸せなら、仕方ないじゃないか・・・」
シンは、くしゃりと顔を歪めて。
今度こそ、ぐしぐしと泣き出した。
本当に、馬鹿な子供。
それが、アスランの幸せじゃないから、僕はこう言ってるのに。
「だから、言ったでしょ。アスランは必要としてくれる人がいないと、生きていけないんだってば。どこまで馬鹿なの、君」
「ばっ・・・！」
顔を真っ赤にして、白目まで真っ赤にして。
ぼろぼろと泣く彼を、もっと苛めてやろうと口を開きかけた時、かたり、と、玄関で鍵を外す音が聞こえた。
「ただいま・・・ああ、キラ、来てたのか」
ドアを開けたアスランは、来客を見止めて微笑み、それから泣いているシンに気がついて、綺麗な眉をひそめて見せた。
「キラお前、シンのこと苛めただろう・・・」
鈍いくせに、なんでそんなことだけわかるんだろう。
「そんなには苛めてないよ。すぐ泣くね、この子」
「お前が言うなよ。まったく・・・何言われた、シン」
ぽん、とシンの頭を叩き、慰めようと撫でてやるアスランの脚にしがみ付くようにして、シンは全部をぶちまけようとする。
「あんたの・・・んっ」
しかし、キラの手のひらが、シンの口をがばりとふさいだ。
「あー、もう、言っちゃうんだもん、シンってば」
「だから、何」
「クリスマス近いでしょ。だから君に何かあげようって話」
なんだそれ！と、シンがキラの手の中で言っている。もちろん、アスランにはわからない。
「本当か？何でそれでシンが泣くんだ？」
「ちょっとね、冗談で３人でヤろうかって言っただけだよ。可愛いね、この子」
とうとうシンに噛み付かれた。そのまま口の中に手を突っ込むと、うぐうぐ言って苦しげにし始める。
それを見たアスランが、疑わしげにキラをねめつけた。
「キーラー」
「ごめんごめん。でも、これ以上聞いたら嫌だからね。ちゃんと楽しみに取っておいてくれないと」
あくまでもシラを切り通し、イタズラっぽくアスランを見上げれば、真面目な彼は腕を組んで、本当に真面目に答えてくれる。
「俺も何か用意しないといけないのかな。・・・でも、いいよ俺は。気持ちだけで十分だ」
「よくないよ。ね、シン」
これ以上続けたら窒息するな、と、やっと手を離してやると、ゼイハアと息をつくなり、シンは叫んだ。
「・・・よくない！」
その勢いに、アスランは驚き、キラは苦笑する。
「俺は、あんたに幸せになってもらいたいんだ。だから何が欲しいか、ちゃんと言えよ！」
言ってもらわなければわからない、自分が歯痒い。
言ってもらえない、そんな自分が、悔しい。
「じゃあ、この間１２ｍｍのレンチをとうとう潰してしまったんだが・・・・」
しかも、この人は大ぼけで。
「そういうもんの話じゃない！」
「・・・・何なんだ？」
シンと意思の疎通を図るのを諦めて、アスランはシンを指差してキラに問うた。
「まだちゃんと決めてないんだよ。この子、可愛いけど言うこと聞かないね」
「聞いてくれたら俺も助かるんだがな」
「誰が聞くかよ！」
吠えたシンが元気なので、まあいいかと思ったらしい。アスランは、着替えてくるから、と、部屋へ引っ込んでしまった。
キラは、捕まえたままだったシンの瞳を覗き込む。
「そんなこと、言われなきゃわかんない？アスランが欲しいのは僕だよ。そして、君だ」
言って。
深く、深くため息をついた。
アスラン。君は、なんて贅沢なの。
「仕方ないな。クリスマスプレゼント、決めちゃうしかないか」
「プレゼント・・・って」
ただの方便だと思っていた話を蒸し返され、シンは目を瞬かせる。
「クリスマスからは無理だけど、年内には僕もこっち来るから。お蕎麦とおせちは僕の分も用意してね」
「あんた、それ・・・」
それは。
キラも、一緒に暮らすということ？
シンと、大好きなアスランと。
アスランが好きで、アスランのことをあいしてると、さらっと言うこいつと。
３人で。
それは、なんて無茶苦茶なプレゼント。
無茶苦茶で、でも、アスランが喜びそうな。
「おせちはともかく・・・蕎麦って何？」
混乱のままに、とりあえず自分が用意する羽目になりそうな、食べ物関係に思考が行った。
そういえば、お腹減った。
「君ほんとにオーブの子？大晦日にはお蕎麦じゃない」
信じられない、というキラの声に。
「蕎麦？なんで」
「君のうちは年越し蕎麦食べなかったの？君のうち、オノゴロのどこ？」
そういうあんたは月育ちじゃないのか。アスランから聞いてんだぞ。
「だって、妹が蕎麦アレルギーで・・・・」
しかし、何故だか逃げ腰になってしまったシンに、キラは本当に邪気のない顔で、にっこりと笑った。
「じゃあ仕方ないか。でも、僕食べたいから用意して」
「はい。・・・って、何で俺が！？」
「アスランもお蕎麦好きだよ」
「・・・仕方ないな・・・・・」
仕方ない。
だって、アスランはこいつが好きで。
・・・しかた、ない。
でもきっと俺だって、あの人に好いてもらえてると思うから。
「仲いいな、お前たち」
着替えてきたアスランが不意にドアを開け、キラがシンを抱えたまま、意地悪く笑う。
「妬いた？」
アスランは軽く笑って。
「誰が」
シンは、いつもどおりキレて。
「なんだよそれ！！」
そうしてキラが、シンを離して立ち上がる。
「そうそう、アスラン、クリスマスプレゼント、言っちゃうけどね・・・・」
キラとシンの、好きな人は。
二人を信じてくれないけれど。
二人を信じることができない、かなしい、人だけれど。
それでも、君が僕を信じてくれることを、僕は信じているよ。
それでも、あんたが俺を信じてくれる日を、俺は信じてる。
I believe.
終